小学校低学年時代のエピソードを思い出して一覧にしました

齢30を過ぎて、明らかに記憶力が落ちた。

一刻も早く忘れてよいこと(これは良い)、忘れたくないこと、忘れてはいけないこと、とにかく記憶にアクセスすることが年々容易でなくなっている。

最近はそういった容易に消えそうな記憶を、些細なことでもiPhoneのメモ帳に積極的に書き留めていくことにしている。小学校低学年時代のエピソードもその一つで、何だか自分の人格形成に多大な影響を及ぼした気もするが、何故か周囲も自分もやたらにトラブってたな、あれなんだったんだろう?今持てる語彙を使って再び眺めてみる。

 

 

野村沙知代vs浅香光代対立が盛んにメディアを賑わせていた頃 "さつき" という名前の女の子を執拗にサッチーと呼んで嫌がられたことがある。

 

・学習帳なんかの裏表紙に付いているグリーンマークを一人で集めていた。集めるだけ。どうもしない。

学校ではベルマーク運動が行われていたが、なんか先生?とかPTA?とかのマジョリティが進んでやっている運動はたいてい気に入らなかったので、そちらには興味を示さないポーズをしていた。

 

・1-2年生で何か自分の手に負えないトラブルが起こるとその場で誰もいない空間を見定め、イスを投げることがままあった。この時点で既に周囲との対話を諦めていたフシがある。

 

・担任の顎に下から頭突きをしたことがある。

 

・1分間スピーチで「最近ハマっている漫画」について話すことになり、『シェイプアップ乱』を挙げてプチ問題になったことがある。徳弘正也による80年代のジャンプ作品なので、普通にいわゆる「乳首券」が行使されている。

 

・宿題プリントに漫画で覚えたセリフや英単語などを落書きして問題になる。これには卑猥なものも含まれる。というか「ひわい」というワードを書いた。

 

・教室で自殺のような行為(たとえば、教室にあった大縄で自分の首を絞めて「今から死にます!」と叫ぶなど)をしまくった結果、担任から「もう、死ぬなら勝手に死んじゃえば!?」と言われる。

 

総合学習の時間などで「2年生でなりたい自分」「自分のオリジナルキャラクター」などを創作する課題があったが、それぞれに対して「いじめっ子に向かって叫びながら机を投げる自分」「RH±ヌルα」という「ふだんは、あたしの血の中にいる。(原文ママ)」キャラクターを提出したらすべて修正して再提出することになった。前者はともかく、血液の中にキャラクターがいるという発想は悪くないと思うのだが……。

ちなみに、RH±ヌルαという血液型は当時大好きだったパタリロ国王から設定を拝借したもので、本当の血液型は未だに分からない。

 

・これも総合学習かなんかだと思うが、自画像と一緒に自分を紹介する課題があり、自画像の横に「女ですよ。一応。信じてもらえますかね(笑)(原文ママ)」という一文を書いた。これを提出したところ、「ふざけすぎである」として再提出になり、最後の部分だけ「信じてもらえますか。」となった。これは確か母親の提案でこのような修正になった。

また、この課題には名前の由来を書く欄があり、「頭の良く美しい子になるように」という本当の由来を書いたが、横に「じっさいは その通りに なんなかった…」と書いて親を落胆させた。この一文も再提出と同時に削除されることになった。

 

・1年生の終わり頃、父親に「ちょっと勉強できるからって調子乗んじゃねえぞ!」と恫喝される。

 

・自分をいつもより激しく揶揄した人間を勢いよく追いかけて、学校のガラスを破る羽目になったことがあった。その後の事情聴取で泣きながら「ここまで激しくいじめられると思わなかった」という意味で「あそこまでやるとは思わなかった」という発言をしたが、それを聞いた周囲には「あそこまで激しく自分が暴れるとは思わなかった」という意味に間違って伝わった。それを訂正する気力も語彙も当時はなかったが、どうすればよかったんだろうね。

 

 

当時は生きづらさを感じることがかなりあったが、周囲はよくこんなのの面倒を見ていたよなと思う。あるいは、黒柳徹子のようにトモエ学園に通えるならそうしたかった。